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最終更新日:2011年7月5日
(全国自治体病院協議会雑誌2009年10月号掲載)
医学の進歩と医療技術の発展は目覚しく、医療者はその恩恵を患者さんに提供することに熱心です。しかし、医療の安全性に関する研究や投資はかなり限られていると言わざるを得ないでしょう。医療の進歩と医療安全は車の両輪に例えられるべきもので、この両者のバランスがとれていれば、車は真直ぐ前進しますが、医療安全の歯車が遅いとバランスを欠いて事故に繋がりかねません。
1999年に起こった手術患者取り違えがきっかけとなり、多くの医療事故がマスコミに報道されてきたために、残念ながら、医療に対する信頼が近年大きく揺らいでおります。結果が悪いと医療事故ではないかという疑いの目で見られがちです。医療者の善意と多大な努力で医療が遂行されているにも拘らず、プロセスよりも結果の良し悪しから判断される風潮があります。その結果、医療者に対して多くのクレームが出され、時には刑事事件として医療者が被告の立場に置かれることすらあります。この現象は医療界に限ったものではありませんが、医療は生命に直結しているだけに、また医療は安全との神話の故に、一旦その仮説が覆されると患者サイドの怒りや誤解を招くことになっています。
人はかならずミスを犯します。検査や治療には複雑な機器が多く使われ、また多くの人が関与します。ハインリッヒの法則によりますと、一件の大きな事故が起こるには29件の軽微な事故があり、さらにその基礎にヒヤリ、ハッとするような事例が300件あるとされます。患者さんには個人差があります。病気の程度や薬、治療の影響も様々です。新しい部品で作られた工業製品でも不具合は生じます。人間のような複雑系で、しかも病んだ患者さんではその反応は計り難いものがあります。診断から治療までのプロセスのどこかに問題があると、医療は適切に提供されません。プロセスの各段階において人的なチェック体制を整備し、機械による自動化もある程度まで可能としても、それには多大な人手と費用を要し、理想的なシステムを作成することは至難のことです。
ところで昨今、年間に1,000件前後の医療紛争が裁判所で扱われているそうです。医療紛争では、当事者は自然とお互いに対立関係にとなり、裁判が決着しても相互理解が進むことはなく、両者いずれにとっても満足感は得られません。しかも多大の時間と費用を要し、不信感だけが残って、両者にとって不幸なだけです。従って、医療紛争の解決手段の一つとして、近年裁判外紛争解決手続き(ADR: Alternative Dispute Resolution)が注目されています。この手続きは、医療事故という不幸な出来事をめぐって患者側、医療者側双方に生じた感情的混乱や不信感、生活環境の変化などさまざまな問題を、訴訟のように敵対的・限定的にではなく、対話を通してできる限り協働的かつ柔軟に解決していこうとする方法です。このような制度が確立されれば調停者(mediator)の助けを得て、当事者間の自主的な解決が可能な例も多くなることが期待され、一旦医療事故が生じた後の手順としては望ましい方向だと思われます。また、患者救済の手段である出産時の障害児に対する無過失保障制度を広く医療事故全般に拡大することも必要でしょう。
話を戻して、「人はエラーを起こすものである」との立場に立ち、医療安全の検討をもう少し組織的に行うことで、遭遇するエラーが事故に結びつくことを減少することができないかとの趣旨で、医療安全全国共同行動が昨年わが国でも始められました。共同運動の事務局長をされている上原鳴夫教授の言を一部借りると、
事故の予防に重点を置いて考える場合には、
医療における信頼の確保については、
を運動の趣旨として提唱しています。
いずれにしても、ヒヤリ・ハットを少しでも減らし、システム全体の安全性を高め、事故を未然に防ぐことが重要です。例えば、ヒヤリ・ハットとして最も多いのが転倒・転落と誤薬の事例ですが、それらの情報収集と分析を積極的に進め、ヒヤリ・ハットを減少させて事故への進展をいかにして未然に防ぐかが鍵です。
欧米の調査によると入院患者の3~16%に医療行為に伴う傷害が生じ、これらの関与による死亡数は米国で年間44,000~98,000人、そのうち半数強は回避可能とされています。日本でも入院患者の6.8%に傷害が報告されています。
米国医療改善研究所 (Institute of Healthcare Improvement: IHI) が、病院での事故死を10万人減らそうというキャンペーンを5年ほど前に開始しましたが、その後年間500万件の有害事象を減らす運動に発展しました。これは“10万人の命を救え”キャンペーン、“500万人の命を守る“キャンペーン(“100K/5Mキャンペーン”)と呼ばれています。この活動では、院内救命措置・褥瘡・院内感染・手術合併症・投薬事故防止等12項目の、エビデンスに基づくプロセスの改善が進められました。全米で最も成功したと言われる病院の一つがヘンリー・フォード病院で、入院死亡率を25%減らし、院内感染を70%減少、手術合併症を40%減らすことに成功したとされています。それらの活動は同時に、患者満足度を大いに高め、コスト削減をもたらしたそうです。
医療安全全国共同行動(“いのちをまもるパートナーズ”キャンペーン/日本版100K Lives Campaign)は、平成20年5月から2年間をキャンペーン期間としてはじまった全国的な運動です。8項目の目標を掲げ、それぞれの病院が出来るだけ多くの項目において目標の達成を目指すものです。
静岡県では、(社)静岡県病院協会が平成20年10月に医療事故防止研修会を開催し、上原教授による「医療安全全国共同行動がめざすこと」と題した講演会を行いました。その後、当病院協会は、医療安全全国共同行動の静岡県における推進拠点として運動に関わってきました。そして今回、「医療安全全国共同行動静岡フォーラム」を開催するにあたり、全国自治体病院協議会静岡支部を始め県内のあらゆる医療関係団体に呼びかけましたところ、職種や立場の壁を超え、医療を担う病院と医療を支えるさまざまな団体が賛意を表し、共催団体として名を連ねてくれました。また、全国版の8目標に加え、検査と放射線部会からは独自の提案があり、合計10分科会で800名以上の参加者を得て本年7月にフォーラムを盛会裡に挙行できました。
これも、医療に対する信頼が大きく揺らいでいる中にあって、多くの有害事象が多発する現実を直視し、これら有害事象を可能な限り低減させ、かつ有害事象から患者さんの生命を守るために全力を尽くすことが医療に関わるすべての人々の責務であるとの共通の認識になっていることの表れだと思います。県内のあらゆる病院、医療団体が一致協力して、医療の質・安全の確保と向上をめざすことの意義は非常に大きいと考えています。
少しでも多くの病院がこの行動に参加することにより、個々の病院では見えづらかった活動の結果がより明確になり、社会への情報発信を通して、医療の信頼性に関する社会の認識が高まり、患者さんと医療者が共同で病魔に立ち向かう強い絆が再び構築されることを望んでやみません。
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