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最終更新日:2010年6月21日
総合診療科 袴田 康弘
「証拠にもとづいた医療」という言い方が、最近目につきます。
Evidence Based Medicine(EBM)と英語でいいます。患者さんの治療を考えるとき、医師はこれまでの治療成績を参考にしますが、それなら、もっとも良質の医学知識をできるだけたくさん参考にすれば誰もが最良の医療が実現できるはずというのが、「証拠にもとづいた医療」の考え方です。
医学上の証拠ですから、すべての医学者が認める方法で証明されているはずです。どのようにして証明されるのか、述べてみます。
ある治療法が病気に有効であるかどうかを判定するとします。よく用いられる方法が、集団からの無作為抽出による二重盲検試験法です。
簡単な例を挙げてみます。老人痴呆の薬の効果を調べるのに、○○さんには本物、XXさんにはにせ物を処方します。現場の医師もどちらの薬か区別できない仕組みになっています。その結果、「本物を使った人は痴呆症の進行が止まった」「にせものでも痴呆が改善した」等々。治療成績をすべて集めて、統計学の解析で判定します。できるだけ公平な結果を出すために、このような試験がおこなわれます。研究途中の試験に病気の人全員が参加することはありませんが、患者さんの数は多ければ多いほど結果の信憑性は高まります。医学上の証拠は今日までこのような試験の繰り返しによって蓄積されたのです。数年前から、薬や治療法の研究成績はコンピュータ通信で毎週発表されるようになりました。各医師が論文をこつこつ読んで情報を集める時代は終わろうとしています。医師が治療法について考えるとき、患者さんの病状や希望に応じて治療成績を簡単に手に入れ、参考にできる時代です。経験豊富な医師も、コンピュータから出てくるの情報の前には手も足もでません。「コンピュータを使って、いろんな情報をもとにどんな病気もすばやく診断をつけ、治療を選び出せる」というのが、証拠にもとづく医療がめざす目標なのです。現実には、むろんそこまで医学は進歩していません。証拠にもとづいた医療が、ほんとうに実現可能になるのはまだ先のことです。
医学は、実験と観察という方法によって有効な治療法をみつけ発展してきました。科学的に客観的な事象だけを、医学の知識としてきました。論理的でシンプルな説明をするのが科学の基本であり、医学の基本も同様であるとされてきました。これとは反対に、個人的な生活上の問題や日常のなかの一般的ではないできごとを、近代医学はまっさきに切り捨てました。因果関係がわからず記述するのが難しい事象であれば、科学では嫌われ、手がつけられずほおっておかれました。
証拠にもとづいた医療に話をもどします。「証拠にもとづいた医療」が扱える範疇にはいる患者さんは限られています。不規則な時間で生活し、思いつきで食べたり寝たりするような人は、はじめから医学研究の試験に参加させてもらえません。たとえまじめな人でも、別の病気で治療中だったり、おおきな病気のあとだったりするとやはり参加できません。まれにそうではない研究もありますが・・。こうしてみますと医学の常識を作り上げるために参加した人たちというのは、おおむね早寝早起きで、食事は一日三度きっちりと食べて、体重は多すぎも少なすぎもせず、たばこはそんなに吸わない、そこそこ若くて、初めて病気になった人たちなのです。もう、お気づきでしょう。「うちのおじいさんが最近元気がない。たばこはよく吸ったし、大酒飲みで、血圧が高い、年齢もいっているけど、。どうしたんでしょう?なにか薬は?」というような質問には、だれも医学上の証拠をつけて答えられません。
現代医学の証拠は、一般の方々が期待されるほどには蓄積していません。医学の方法論は、単純化したモデルから答えを見つけ一般論を導き出す近代科学の方法論の域を出ていません。では、複雑な集団からなり、相互作用が入り交じる、多様性に富む臨床医学についてはどうすればよいのか、答えは患者さんのベッドサイドで模索中です。
(平成10年6月、静岡県立総合病院・総合診療科の診察室にて、袴田康弘)
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